渋谷昌孝(Masataka shibuya)

作品「仮の歴史」

その作品は単純なものだった。すなわち世界各紙1日分の新聞紙を丁寧に広げて床一面に敷き詰める。後はただ2日目以降の新聞紙も同じ要領で積み上げる。これを何百年も繰り返す。何層もあたかも地層のようになった巨大な塊が「歴史」と呼ばれる仮の作品である。下段になるにつれて腐敗しているのはご愛嬌。上段は風に飛ばされるのでしっかり固定するが、それでもあちこちに散乱してしまう。一旦飛んでいった新聞をもとに戻すのは至難の技である。パズルのピースを合わせるのと訳が違う。重石をおけば解決するのだろうが、外見に支障がでる。だから始終作業人が飛び回っている始末だ。それを代々遣り手を代えながら継承している。あてのない無意味な作業の継続!作業に目的がないからこそ可能なのだ。辞書を編纂しているのではない。歴史の編集とも異なる。偉大なる単調作業とも言い難い。だれもが作業の頓挫を心配している。作品はまさに国民の心配と危惧によって支えられている。

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