ネットワークとアメーバ組織

損をしていた。今頃になって知った。でも知っただけマシとしよう。それにしても遅すぎた。何のことか?人脈と組織である。これまで人脈の価値を疎んじ視界にすら入らなかった。ネットワークとして世界を眺めるならば、人と人の繋がりの一部分を形成する欠片が自己である。ネットワークの点(ドット)としての自己を発見したのは余りにも遅すぎる。しかし、これからは重心を消して、フラット化させることに専心しよう。上や下に伸びるのはやめて、横に伸びるようにしよう。他人と他人のあいだに自己を平均的に位置づける。ここに凹凸はない。利点は動きやすいということ。自己が中心にあると考えていると、重くなって動けない。その点、自己を世界というネットワーク上にある、ドットのひとつとして考えたほうが何かと都合がいい。膨大にある他人の価値と、自己の微小な価値を結びつけることにしよう。この結びつけるというのがミソだ。ここまでは、人脈をネットワークに模したもの。次に組織。人脈同様これまで無視していた。これが大きな損失だった。ひとりではなにもできない。互いの能力を補完し、協働することに組織の存在意義がある。ひとりで不可能なことが、組織の力で可能になる。まったく当たり前な事実なのに気がつかなかったのは不思議。自己の壁を破壊する鍵は、この二点に集約される。誤解しやすいが、組織と自己が独立しているのではないこと。つまり、組織と自己とは同一化された溶けあっている一個である。不可分であることに注意。組織のなかに自己があるのとも異なる。これでは溶けあっているとは言えない。組織とはアメーバのような有機体であり、自己はそのなかにあるようにみえるが、定まったカタチを持たない第二のアメーバである。自己の領域を組織にまで高めれば「自己=組織」となり、組織が自己そのものになるだろう。組織が自己であるような在り方のほうが、自己が自己であるときよりも、不可能なことが少なくなり、逆に、可能なことが増える。コロナの世界的な流行の間に、基本的な考え方の枠組みが、すっかり変化してしまった!ゼロからやり直しだ。

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