賃金・労働・教育
賃金と労働と教育について。労働力は一定ではない。技術があれば労働力の価値は騰貴する。技術の基礎となるものが教育である。賃金は労働力の水準に応じて支払れる。建前としてはそうだ。長時間働けばそれだけ賃金が増えるが、労働力の価値は変わらない。労働力の価値が高ければ、少なく働いても賃金は多くなるはず。これも建前は、という前提。また労働者は同時に消費者でもある。学校はこの、将来の労働者と消費者が生成される場なのである。また労働者を雇う者を教育する場所でもある。賃金を多くする手段のひとつとして、労働力の質を高めることが挙げられる。単純労働よりも高度かつ複雑な労働に価値があるのは明らかなようにみえる。ただし、高度な労働によってつくられた商品も消費されなければ、賃金になれないから現実的に意味がない。消費が賃金に変換させるのであるから、労働力に高級な価値があったとしても、消費者の視座まで帰還しなければならない。有用性があり理解されるものでなくてはならない。資本家もはじめは賃金労働者であった。労働力の価値を最大限にすることに努めながら、賃金労働者から資本家への道を歩んだのではないか。このような経路を辿るためには、教育環境が整備されていることが重要である。整備されていないならば、まずその事実に気づくことである。そして、独力で学ぶ環境を整備するしかない。(例えばお手本となる人間を見つけるなど)。学ぶこと(経験からの学びも含む)によって、労働力の価値が高まるはず。もしも、技術の習得や新しい学びをしないまま、これまで通り与えられた仕事に従事するなら、労働力の価値は、一定どころか時間と共に下落する。つまり賃金も下がるだろう。さらに周囲の競争に晒されるから尚更である。だから、単に仕事をして食べて寝るを回転するだけの生活を送っていると、労働力の価値が目減りしてしまい、気づいた時には、もう手遅れという事態になりかねない。学ぶことの盲点は、みんなが学んでいることを学ぼうとする矛盾である。ここに貴重な時間を消費するのは得策ではない。差がつかないところで労力を費やすのは賢明ではないからだからだ。しかし、新聞の記事がまったく理解できないというのでは、極端すぎるので、一応の最新情報や世の中の流れは理解しておく。(2020・9現在では、例えばDXを知らないのは致命的!)。どのような人間になりたいのか、どのような人生を送りたいのかを決定することから逆算して限られた時間を選択的に使うようにする。死は遠く先にあるものだと思いがちだが、意外と早く到来する。髑髏の言葉「死を意識して生きよ」!
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