人間のいない世界「コロナ後」
「新しい世界秩序とは何か?」急速に新しい世界秩序への移行が起こっている。一般法則が変わることはないけれども、生きている場の秩序が変わるのなら、そちらの要請を受け入れるべきだ。古い服は、脱ぎ捨てて、新世界の服に改めてなくては不自然になる。いま(2021.4.20)現在は有事である、という認識でほぼ間違いない。緊急事態であるという意味だから、日常は非日常にすり替わっている。疲弊するのもこのためである。非日常を日常と勘違いしていたら、不安が増すばかりである。新しい社会の揺籃期にある現実を、いま一度再点検したい。そこで、どのように適応すべきかを考えて対応策を練る。なぜなら適者生存であるから。つまり、外界の状態に最もよく適したものだけが生存繁栄し、適していないものは淘汰されて衰退滅亡するものと、H・スペンサーは言う。再度はじめの疑問に戻る-「新しい社会秩序とは何か?」。その秩序の基準となるであろうキーワードは「無人社会」だろう。すなわち「人間のいない社会」であると予測する。未来の大まかなイメージに過ぎないのだが、少なくとも傾向として行きつく先にあるものとして、第一に提示したいと思う。第二はまだわからない。第三もあるのだろうが、わからない。現実に人間が不在になるのではなくて、未来のイメージが「無人社会」になるという点に注意して頂きたい。これまで当たり前に人がいたところで人が消える。例えば、物を買うときに販売員はいない。無人店舗は激増する。電車、バス、飛行機、自動車も、遠からず無人になる。もちろん工場などの職場にも人がいない。いたとしても最少人数。接触から非接触(遠隔)という流れも重要。繋がっていたものが切れる感覚になる。余談だが、かつて臨床心理士であった河合隼雄氏の言葉を想起した。切れる(キレる)とは繋がっていないことであると。そして物語が繋ぐ役目になると。ところで、仕事は、データ管理とAIとロボットによってなされる。人の介入する仕事は、これらを監視管理することになる。無人と無人が行き交う音の無い社会を中央司令塔から遠隔から監視管理する。これは全部ではなく、ごく一部に限っての未来図である。(コロナ後のイメージだが、あるとないとでは大きな差があると思う)。なんと希薄かつ無機質かつ虚無感に覆われた社会なんだ、とい声が聞こえる。「まっぴらごめんだ!」まるでカフカの世界みたいじゃないかと。確かに「笑い」がないようだ。だが、必然の変革には意に反するものであっても、丁寧に対処すべきだろう。それとも滅亡を欲するのか。優先されるべきは生き残ることであるはず。時代に逆行するのは効率が悪い。川の流れが海に向かっているのに、川上に向かうのでは骨が折れる。「人間不在の世界」という大きな物語が主軸になると想定するならば、おのずと個々の対応策あるいは方向性がみえてくる。最後に、メルロー=ポンティの「モースからクロード・レヴィ=ストロースへ」からの引用。「民俗学とは『未開』社会といった特殊な対象によって定義されるような専門学科ではない。それは一つの考え方、つまり対象が『他者のもの』である時に課せられてくるような、そして我々が自ら我々自身を変える必要に迫られるような一つの考え方なのである」。『他者のもの』=『コロナ』と言い換えると納得しやすい。
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