レーザー光線と宇宙人

メルロー=ポンティ「眼と精神」みすず書房。

「人間の科学と現象学」でフッサール「論理学研究」から引用しているものを、ここで再び引用してみよう。そのあと若干の解釈を試みる。

「われわれの思考の法則は、われわれにとっては存在の法則なのであり、しかもそれは、われわれが前人格的思考と交流するからではなく、むしろそれらの法則の及ぶ範囲が、われわれにとっては、われわれが[その存在を]肯定しうるすべてのものの範囲とまったく相い覆うからである。そして、たとえわれわれがそれとは別の、それに矛盾するような法則、たとえば神とか天使のような何か超人的な思考を想定しようと思っても、この新しい原理に何らかの意味を認めるためには、われわれはそれを自分の思考法則のもとに包摂しなければならないだろうし、そうだとしてみれば、結局、そうした超人間的思考など、われわれにとっては無きに等しいものなのだーーと、大体こんなふうなことです。」

「もし天使がわれわれによって考えられるとしてもーーそして、考えられなければそれについて議論することもできないわけですから、考えられるには違いないのですが、やはり、それがわれわれの思考法則にかなっていなければ、それを〈思考する者〉として考えるわけにはいきません。人類の思考法則とまったく違った法則にしたがって思考し、その結果、人間的思考の法則をまったく疑わしいものにしてしまうであろうような天使は、私によって考えられることもありえないということになります。そうした天使を思い描くとき、実は私は何も考えていないのです。こうして、思考の普遍性は、すべての精神の中心にある普遍的思考者との交流ということによってではなく、ただひたすら私の思考が生きた私に密着しているという事実によって基礎づけられることになります。」

人間は、人間の思考法則から逃れられず、常にそれに束縛されかつ限定される。思考法則をレーザー光線(レーザー光線の道筋も含む)のようなものとして表現できる。レーザーで照らされたもの以外は、人間にとって思考不可能な範囲に属する。天使とか神とか、あるいは現代では、宇宙人とかというものは、フッサールのいう前人格的思考によって想定されるものであるが、人間の思考法則の埒外にあるものだ。その意味を認めるためには、想定される超人的思考と交流することで可能になるはずだが、この交流へ向かう手段は唯一、人間の思考法則においてほかにない。しかし、それは不可能である。想定される超人的思考によって考えられた(?)たとえば普遍的なイデアがあるとしても、われわれが人間の思考法則に密着している限り、そこからの跳躍は無理である(人間以外にならないといけないから)。我々は我々の思考法則によって照らされた範囲しか了解できない。レーザー光線のたとえで言えば、光線のないところは、あると想像されるとしても、人間にとっては考えることのできない範囲にあることになる。これはつまり無いということになってしまう。なぜなら思考法則によってのみ、あるものをあるものとして認めることになるからである。これらは人間の限界を示しているだけであって、私は人間の思考法則以外の法則があっても不思議ではないと思う。世界(宇宙)には人間の思考法則によらない超人的な思考によって初めて意味(違う!意味は人間にとってのみの概念だった)になるものがあるだろう(矛盾!)。ただ人間である限り、それらに到達することは論理的に不可能であると言っているにすぎない。
宇宙人は「いる」が「いない」のだ。宇宙人を天使とか神などの超人間的思考によって知られるべきものだとすれば、このような結論になるだろう。

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