沈黙/金の卵
沈黙する/沈黙している/沈黙しようとする/これらは、沈黙という覆いを纏った雄弁あるいは積極的な思考を宿してはいないだろうか。沈黙してはいるが、雄弁以上の意味を含んでいる。言葉が欠けているが、恐ろしく不気味である。言葉なき沈黙によって雄弁よりも、むしろ多くの意味が語られているからだ。沈黙を聴く人は、欠けている空白に本来あったであろう内容を性急に埋めあわそうとする。
会話よりも沈黙のほうが、より意味深く内容が豊富である。発話よりも沈黙のほうがより積極的な内容を多くふくんでいる。沈黙という姿はなにより多くを語るだろう。沈黙が恐ろしく不気味な印象を与えるのは、その沈黙という名とは裏腹に、沈黙こそ掴みとれない多くの意味を含有していると思わせるからである。沈黙は空虚どころか饒舌であるのに、この饒舌によって語られるべき豊かなものが、至るところ沈黙という姿で隠蔽されている。この落差!
いま世界は沈黙している(ようにみえる)。沈黙を強制されている(ようにみえる)。眼に見えないが世界が一斉に深く沈み込み意味を膨らましている。喋るという行為が半ば禁忌とされ、沈黙を余儀なくされている。世界の沈黙は、会話という開放された季節を忘れて大地をドリルで掘るように底に向かって鋭く斬り込む。これを歴史的な跳躍と言わずして何と言えばいいのか。バネの強烈な収縮は莫大なエネルギーを溜め込む。世界はいま重篤な関節痛に罹患している。あらゆる箇所に痛みを感じている。痛みを痛みとして感じるのか、それとも成長前の関節痛として捉えるのか、それとも痛みに麻痺して忘却を決め込むのか。それぞれの選択肢はすでに提示されている。
もしかすると世界は急激に賢くなっているのではないか。それとも分断が一層激しくなっているのか。沈黙は金であるどころか、金の卵ではないか。完全な空虚である沈黙など考えることはできない。沈黙しているからには仕事をしているはずだ。ただ、その仕事の成果はだいぶ時間が経過してからでないと判明しない。結果のわからない仕事をやっていることになるが、それでもいいではないか。わかる仕事の結果はわかる範囲に限られるが、わからない仕事の結果はわからない範囲となるだろうから。後者のほうに可能性がある。大きな休止符を打つ。音楽であるためには休止符が必要であるが、沈黙がそれ。
2022.March
2021年につづき自粛、またも「沈黙の春」にて。
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