ゲームの死からはじまる新たな困難
まずは簡単な例から。その後に一般化を試みたい。将棋のAIをAI同士無限回に限りなく対戦させる。無限と言っても時間に制限があるが、対戦回数の増加に伴ってある範囲に収束すると予測できる(直感的に発散するとは考えにくい)。発散するのなら収束するゲームだけを考える。AIの掛け合わせはおそらくルールのあるゲームの限界点を示すであろう。どのようなものかはまったく分からないが、正体がないより正体のあるものの方がマシである。ゲームの総体をピラミッドに似せて表現すれば、AI同士の対戦は頂点に近づく一方で人間同士の対戦はピラミッドに底辺をうろつくような具合だ。無限に対戦をすれば何らかの法則や規則のようなものが定型として生じるであろう。これを将棋に限定すれば、謂わば将棋の本質あるいは将棋というゲームの限界が現れてくる。将棋について一定の体系らしきものを獲得できる筈だ(もちろん無限の戦略を踏まえたものになる)。幸か不幸かこれは将棋の終焉を意味する。つまり将棋の可能性が消滅してしまう。ゲームの正体が完璧に暴露されてしまったのだから。しかし人間にとってという条件がつく。何故ならここからがAI的には本番であるから。以上をまとめるとこうなる。二項対立に限定して話を進めれは面白い関係が見えてくる。初期条件(ゼロからスタートする)と規則のある閉じたゲームにAIとAIの無限の演算を組む込めば(AIが人間を介さないことに注意!AIが相手にするものはおなじAIである)何らかのまとまった姿をAIは評価して答えをだすに違いない。この段階では、まだ広い範囲に応用できない。だが、条件を限定すれば一般化は十分可能に思える。無秩序と混沌の世界ではなく、何らかの手掛かりを何らかの形で示す。しかしここで問題が起きる。その形らしきものを人間の能力で解釈あるいは利用できるかどうかという問題。確実に言えるのは、AIが人間が容易に理解できない事象を大量に生みだすということ!それらの多くを人は評価も解釈も利用すらできない。
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