彼シリーズ「忘年会」

彼は魅力的にみえる。しかし、話せば話すほど不可解で謎は深まる一方だった。不信感さえ抱いてしまう。判断のしようがない。判断は次の判断によって打ち消される。虚空を彷徨っている宇宙人みたいだ。そもそも容姿が空想的で現実から遊離してる印象を与える。
「最近よく聴く音楽は?」問われると「Miles  Davis Bitches Brew 」と応える。それが…「迫ってくるような深刻な感情が自分の危機感と同調する」と消極的に付け加える。
「いま読んでいる本はあるか?」との問いには、長い沈黙の後一言、レヴィ=ストロースの「悲しき熱帯」と掠れた小声で辛うじて聞くことができた。有名な本だが読む人はあまり多くはないようだ。次々と下らない質問を受ける。彼は天井に視線を遣りながら、ふわふわと応えるのだった。空虚な言葉を搾りだすのが彼のスタイルなのだ。
「好きな食べ物は?」
「寧ろ断食をしたいくらいだ」
「好きな異性は?」
「ユーモア」
「ユーモアは女じゃないよ」
「じゃあ、機知…いや…コケティッシュ……分かるだろう?」
「趣味は?」
「生活が趣味だ。毎日の習慣が趣味だ」
「好きな飲み物は?」
「ブラック。着る服もブラックだ。だって苦いだろう?人生というものは」
「好きな芸術家は?」
「家庭の主婦。あるいは評価されない貴重な仕事をやる人達であって、芸術家と名がつく奴は嫌いだ。そもそも芸術にぶらさがっている軽佻浮薄な輩ではなくて実直な職人や技術者の方が好きだ。彼らが真の芸術家だと思う」
「好きなテレビ番組は?」
「テレビのスイッチは常にOFF。これからも見ないだろう。散歩やカフェから眺める風景を愛している」
「最近心掛けていることはあるか?」
「真摯さかな。これまでが不真面目過ぎたから。勇気に欠けるものの多少の大胆さは持ち合わせているよ。評価を気にしていたら何もできない」
「興味ある研究課題は?」
「時間。時間について知っている者は少ない。常識的な時間観念は修正の余地があると思っている」
「得意なことはあるか?」
「比較の問題。何に秀でているのかを決定するのは他人であって自分の主観で決まるものではない」
「コンプレックスはあるか?」
「異邦人であること。だが裏を返せば、常識に囚われない自由人であるとも言える。無論本意ではない誤解を受けるのであるが…」
「好きな映画は?」
「適当に選ぶとするなら、チャップリンのサーカス」
「苦手なことは?」
「車の運転。はやく自動運転にして欲しい。考え事をしている間に、50m進んでしまって危ない危ない」
「タバコを吸うか?」
「禁煙席に座る人種に属する」
「目標はあるか?」
「それは言えない。でも一日単位で生きることを意識している。良くも悪くも一日をよく生きるしかない。将来どうなるかなんて分からないのだから。きょう悪くても明日良ければいいし、きょう悪かったら明日良くしようする」
……それにしても…とため息をつく。
「もうだいぶ酔ってきたから勘弁して下さいよ。あなたは私に意見を求めますが、特別な主張とか批判とかはあまりなくて、仕方なくそうなった世界に順応していこうとする心構えでいるんです。今後はどうか知りませんが。現状を維持しようとする人と現状を変えようとする人が対立すると、落ち着くところに落ち着く。その場で生き抜くのが私のすべき仕事です」と言いながら彼はそれ以上多くを語らなかった。どうやら沈黙こそが唯一の友であるらしい。








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