感情について話そう
感情について話そう。どんな人も感情と無関係でいることはできないだろうから。感情とはその人そのものと言い換えられる。シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」を思い出そう。民衆の心に訴えたアントニーに対して、ブルータスは理詰で説得しようとする。岩波文庫の注釈にはこうある。「ブルータスの演説が理知的で冷たく、群衆の心理を少しも知らぬ学者的演説であることに注意。それに反して次のアントニーのそれが、どこまでも感情に訴え、卑近で、具体的で、巧みに群衆の低い知性と天邪鬼心理をとらえていることに注意。シェイクスピアが前者を散文で書き、後者を無韻詩形で書き分けていることも、なんでもない工夫だが見のがせない」。群衆の心理がどちらに傾いたかは想像にお任せする。感情は、どんなに正確な論理であっても理知的なものであっても動かない。これに例え真理であっても、という条件が加わる。逆にいえば虚偽によって容易に動く。これは21世紀になった今でも変わらない。更にありふれた真実を書こう。人はみな鈍感なようにみえて内実は驚くほど敏感で鋭いということ!(あなたにも心当たりがあるはず!!)。経験では、鈍感な人間はまず存在しない。各々の知性の度合いに準じて遍く敏感に感じているのが現実である。しかもそれらが伝播するように人から人へと拡大する。こうやって噂が広まる。同時に誤解もされる。「数学で説得するのは不可能である」との命題がAI時代の世の中に於いても有効であるかのようだ。しかし、よく考えると不思議なことに気付く。感情が論理で動かないのに、ある種の直感力で現実を嗅ぎ分けているのも本当だから…
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