マイナスの知識
データでも情報でも知識にしても何であれ、加えるという発想であるものが多い。あれもこれもと食指を伸ばして足したり加え溜め込もうとする。もっと言えば掛け算になっている。結果として世界が肥満する。ここでマイナスの知識という概念を導入したい。決して悪い意味ではない。足したり加えたりする知識ではなくて、軽快になり身軽になり背負っている重荷を降ろすような、そんな良いマイナスの作用を施してくれる知識のことである。人生に於ける必要な知識量は増大する一方であるが、知識をあたかも貯金するものであるかにように捉えるのは疑問。肥満した肉体では自由自在に動けない。個人的に世界全体が重たくなっている印象を持つ。加えたり積み重ねる発想ばかりで、それ自体が重くなり自由度がなくなっている。マイナスの知識という概念を提示していながら、私は明瞭な考えを持ち合わせていない。何とも無責任な話であるが。でも、あなたの納得が得られそうだと密かに期待しているのだ。別にいいではないか。誰かが解決してくれるかも知れないから。ひとりで業績を挙げたり解決したりするに及ばない。でもちょっと考えてみよう。いまの世界に運動して痩せる行為を要するのは確実。肥大する知識社会にとって、運動に相当するものとは何であろうか?誤解して欲しくないのは、知識の重要性は否定していないこと。だが同じ知識量であってもダイエットした身体の方がいいに決まっている。想定するマイナスの知識とは、このようなダイエットの効果をもたらす知識のことである。あるとすれば、それは知識というよりも知恵に分類されるべきものであるに違いない。知識量と質はいまのまま変わらないけれども、全体としての器が縮小する薬のような何か…あるもの…マイナスの知識!
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