解凍される言語
口から声が発音される。それが空気を振動させる。振動は相手の耳に届き、脳によって解析される。言語のことだ。声は、流動的な精神活動が言語を選択しながら発せられる。まさか精神活動が停止していると考える人はいない。生は休みなく動く。但し選択された言語は止まっている。だからAからBに情報が伝わるときに、動く主体から、いったん停止している言語を経由して再度動く主体に、というふうに伝播する。同じことをもう一度説明する。口から発せられた声は生身の肉体から発信されるが(A)。そのときに言語という通路を経由する。ここで簡略化するため身振り手振りは無視する。言語は生身の流動する精神活動がそれを選択するのであるが、言語そのものは万人に共通した記号であるから、普遍性と客観性に彩られている限り、動くものではなく静止している完成品とみなされる。しかし、この凝固した言語を通過する先は、また生身の流動する精神活動(B)に至る。これがAからBへ情報が伝わる過程である。以上は会話の場合であるが、書かれ文字における言語活動もある。読書がその代表。書かれた言語はあたかも凍結された声のようである。ある読者には単なる無意味な記号に過ぎないかも知れないが、記号を理解できる読者にとっては、それが書かれたときの状態を解凍するという手腕によって再現することができる。いわば書かれた言語は仮死状態になっていたが、生きた精神活動に助けられてまた生命を取り戻すのである。図書館や古本屋などは未だ解凍されずに首を長くして待っている、瀕死の状況におかれた言語達の集団墓地のようなもの。そして注目すべきは凝固したまま限りなく死んでいるこれらの言語達が量質ともに膨大であると予想されること。墓場の下を掘っても何も期待できないけれども、言語という墓場は掘りおこせば、再び蘇らせることが可能という意味で、墓場すれすれに満ち溢れた世界に我々は生きている!
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