Dis-cover「覆いを剥ぎとる」
どうしたら新しい発見ができるのか。発見される主体はどのようにして我々の前に現れるのか。発見される対象があらかじめ自明である可能性は低い。なぜなら既存の固定観念を覆す過程で発見がなされるから。仮に方向性があったとしても、それは漠然としたものになる筈だ。だから偶然によって発見される事例が多いのも納得できる。発見に向かう精神は、目標とか目的がはっきりしていない。手探りで混沌から宝を探しだそうとするのだが、あたかも探究しながら固定観念を破壊するかのような作業をする。厳格かつ正確に目的を追求する態度では寧ろ発見から遠のくのではないかと思われる。発見するのに相応しい態度とは第一に、自分の精神が何に囚われているかを知ることであり、第二に、囚われていた謬見を排除すること。人は必ず偏見の魔に侵されている。この偏見こそが新しい発見の邪魔をする。曇った眼で必死に探そうとしても無駄な骨折りだ。思考内容も偏見と誤謬に汚染されているので、まずこのイドラの正しい認識から始める。発見するには遠く先にあるものを追い求めるのではなく、現時点の意識していない固定観念から心を解き放つことから始める。そしてこの無意識の先入観を排除することに集中することで新しい真理への通路が開ける。発見に至る過程は不思議なもので、完璧な真剣さよりも、ふらふらと逡巡するとか逍遥するとか、一見、不真面目に見えるような道草や遊びの要素が不可欠である。…このような考えでいるから茫漠たる頭の私はいつもはっきりしないといって批判される運命にあるのであるが…… 。
0コメント