あがってもさがっても

ここでひとつの提案をしたい。とはいっても特別役立つものではないし、つまらぬ戯言かもしれないが…。提案とは、自己を株式に見立てるというものである。なぜなら株式と同じく自己にも浮き沈みがあり、上昇局面や下降局面があるからである。このように考えると自己自身を客観的かつ冷静に観察することができる。時世に合致した有益な行いをすれば、そしてそれが広く知られるならば、自己の株は高騰するであろう。市場の人気が得られるからである。このとき「株があがっているな」という感触が得られ、同時に浮かれている自己を発見する。批判的に再考する絶好の機会である。自己とは市場との関係からなり、市場では一般的な評価が下されるが、それは自己の自由にならない種類のものでコントロールは不可能である。したがって、なるがままに任せる。余計な関与はしない。下降局面ではどうあがいても下落するから、その冷酷な現実を素直に認める胆力がいる。この場合、評価を気にしすぎないで淡々とすべきことを遂行していればいい。「株が下がっているな」と感情と切り離して受け止める。市場の評価は気紛れで短期的かつ表層的であるから、きょろきょろしたところで意味がない。自己投資が結実して評価が定まれば、自己の株式は上昇局面に向かう可能性があるが、ここでも過度に気にせず、何事も無かったの如く淡々とすべき事柄に専心する。メディアが勝手に報道したり、面白半分に注目されても長期的に見るならば、これもまた無意味であるから。自己の株式があがっても下がっても頓着しないのがいい。高騰時に調子に乗らず自制に努め、暴落時には、すべてを放棄したり諦めたり絶望しないで、つまり不必要に下落という事実に固執しないで、いまできる仕事に全精力を傾注させる。失敗のほとんどが、高騰時の調子に乗りすぎることと、暴落時の過度な悲観とによる。理想は長期的に上昇トレンドになっていること。短期的な騰落を無視して、長期的な上昇のためにどうすればいいいのか考える。自己は単なる株式に過ぎないという見方をしてみると案外面白い。

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