誰も信じない歴史の法則

循環する歴史を誰も信じない、という不思議な現象について。同じことが繰り返されるのに、この繰り返されている事実を誰も信じないし、理解もしない不可解さ。周期的に繰り返される歴史的事象が理解されないという明らかな法則がある。例をあげよう。地球の公転を主張したガリレオ。飛行機をはじめて制作したライト兄弟。進化論を唱えたダーウィン。自動車を発明したフォード。彼らの共通点は何か?そう、それは必ず否定され批判され嘲笑を受けたことである。新しい発見や発明は、最初に必ず批判されるのは歴史をみれば明白なのに、これを誰も信じない。人間の本性には自己防衛の本能がある。いったん安定すると、その地位を脅かす新規なものに対し吟味することなく安易に批判する。(ここで強調したいが批判することほど簡単な仕事はこの世にない!)。事情は現在でもまったく変わっていない。つまり、いま批判を受けているものや、軽蔑されバカにされているものがあるとするならば、歴史の必然として、ここから未来の常識となる理論や製品などが誕生する確率が高い。変化を嫌うのが人類の特徴なのだ。そして、これからも同様である。いま批判され拒否反応を浴びている何かがあるとすれば、それこそ将来有用な価値になる可能性が大きい。レコードが発明されたときに演奏者の仕事がなくなると言われ、自動車が発明されたときも、馬のいない乗り物にだれが乗るのかといって侮蔑された。如何に古い常識から脱けだすのが困難であることか!新しいものが新しいものとして見えるのではなく、何か得体の知れない人類の安泰を脅かす奇妙なものとして映る。未来の有益な価値をはじめて我々が目にするとき、それがどうゆうわけか最も醜悪で有害なものに見える。どっぷり染まっている習慣とあたりまえだ、という歪曲された色眼鏡で世界を捉えているのが我々の現在おかれた立場であることを再認識したい。

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