F・ベーコン「発見の術」

まず、ベーコンの「学問の進歩」より発見の術の項目から興味のある部分を引用して、のち考察してみよう。
「…というのは、正しい疑問を発することができることは、なかば認識に到達することであるから。すなわち、プラトンのいうように、『求めるものはみな、その求めているものの一般的な観念をもっている。さもなければ、見つけたときに、どうしてそれだと知るのだろうか』(メノン)。そしてそれゆえ、予測がしっかりしておればおるほど、探求はそれだけ簡単直裁である。しかし、すでに知っているものから、何をとり出すべきかを教えてくれる論題は、同時にまた、かりに経験のふかいひとが目のまえにいる場合のように、われわれに加勢して、どのような疑問を発するかを教え、あるいは指南の書物と著者がある場合のように、どのような点を探求し考察すべきかを教えてくれるものである。」
プラトンの「メノン」の言葉が味わい深い。新しく発見された観念は、それを求める精神の延長線上にある。発見とは、新たに見いだすことであるが、それが発見であるかどうかを知ることができたのは、あらかじめ発見されたものの観念を、発見されない前の精神の中に持っていたからに他ならない。ここに跳躍はない。発見とは単に発見されることではなくて、発見された事実を知るという作業も含まれる。そして、この事実を知るためには、発見されたものに近い場にあることが必要だ。発見は既にされている場合が多い。だが、それが発見であるという事実を知る者は稀だ。ここまで考えれば発見におけるこれまでの誤解が理解できるに違いない。発見は求められるものだが、正しく求めることこそが難しい。正しく疑問を発するとか、正しく質問をするというのも同様である。仮に正しく求めるならば発見できるだろうし、正しい疑問を発することができたならば、ベーコンのいうように認識の半分に到達したことになる。以上からわかることは、正しく認識ができないのは、そもそも求める姿勢である疑問や質問そのものの不備や欠陥に原因があるということである。実用的な知識として、質問上手になればそれだけ解決が容易になるだろう。うまい質問をする!

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