「過去・現在・未来」平等理論
我々は現在に生きている。現在にありながら過去と未来に注意を向ける。現在という一点に集中しているのは事実である。現在から逃れることは不可能だ。しかし、あえて意識的な習慣として有効だと思われるアイデアがある。それは単純かも知れないが、コロンブスの卵みたいな発想である。なんでもない習慣だが、最近になって意識上に浮上したものである。それは、過去と現在と未来への意識的な関与を均等にするというものである。完全な三等分として、過去と現在と未来を扱う。なぜわざわざこんなあたりまえなことを強調するのかといえば、人間の本性は、この三つのうちのどれかひとつに偏るという傾向があるから。もっとも、現在には過去と未来の情報が意識しなくとも含まれているのだが、決して能動的な志向はされていない。漠然と現在を通して過去と未来に関係しているに過ぎない。人によっては過去に余りにも囚われているし、現在だけしか見ないのは近視であるし、未来志向が強すぎても均衡を逸している。現在は過去を引きずっており、換言するならば、過去全体の集積がいま現在となって表現されている。未来は未だ来ていないものだが、現在が必ず向かうところである。だから未来は現在の死に近い。未来は単に未来ではなく、未来の方から現在に向かうものでもある。未来には現在の思いが反映されるから。また過去は不動であるが未来は常に不定である。言いたいことの重点は平等の意識にある。平等とは「過去・現在・未来」を均等に意識するという意味である。そして更にいうと、この均等の意識を能動的にもつこと。一般に人間は、過去人と現代人と未来人に分類できる。いずれも現在を生きている人間の特徴が、過去に向かっているか、現在に留まるか、それとも未来志向かに依拠する。私は平等の視点で「過去・現在・未来」を見ようと思う。どれにも偏向しない。歴史を尊重し、現実を受け入れ、未来に対しても配慮しよう。なぜなら、偏りをなくし適切に均衡を保つのが賢い方法だと信じるから。
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