五輪書
宮本武蔵「五輪書」から火之巻と風之巻より
- 「『景気を見る』というのは、大勢の戦いにあっては、敵の意気がさかんか、あるいは衰えているかを知り、相手の人数のことを知り、その場の状況に応じて、敵の状態をよく見て、こちらの人数をどう動かし、この兵法を使うことによって、確実に勝てるというところを呑みこみ、先の状況を見とおして戦うことをいうのである。また一対一の戦いにあっても、敵の流派をわきまえ、相手の性質をよく見て、その人の長所短所を見わけて、敵の意表をつき、まったく拍子のちがうように仕掛け、敵の調子の上下を知り、間の拍子をよく知って、手先をとってゆくことが重要である。物事の『景気』ということは、自分の智力さえすぐれていれば、必ず見えるものである。兵法を自由にこなせれば、敵の心のうちをよく推しはかって、勝をしめる手段を多く見出すことができるはずである。十分に工夫すべきである。」
- 「他流では目付といって、それぞれの流儀により、敵の太刀に目をつけるもの、手に目をつけるもの、または顔に目をつけるもの、足などに目をつけるものがある。このように、特別に目をつけようとすれば、それに迷わされて、兵法のさまたげになるものである。そのわけは、たとえば、鞠をける人は、鞠に目をつけていないのに、難しい蹴鞠の曲足を、たくみに蹴ることができる。ものに習熟することによって、確かに目で一つを見る必要はない。また曲芸などをする者の技にも、その道になれば、扉を鼻の上にたてたり、刀を幾振も手玉にとることは、これも皆、確実に目をつけているのではないが、いつも手慣れているから自然によく見えるようになるのである。兵法の道においても、その時々の闘いになれ、人の心の軽重をさとり、兵法の道を体得できれば、太刀の遠近、遅速までも、すべて見えるものである。兵法の目のつけどころは、相手の心に目をつけ、心眼を働かせなければならないのである。多人数の戦いにあっても、その敵軍の形勢にこそ目をつけるのである。観と見の二つの見方のうち、観の目を強くして、敵の心の動きを見ぬき、その場所の状況を見て、大局に目をつけてその戦いの形勢を見て、そのときどきの強弱を見て、確実に勝を得ることが必要なのである。多人数の戦いでも、個人の勝負でも、細かい部分に目を奪われてはならない。前にも述べたように、細かいところに目をつけることによって、大局を見忘れ、心に迷いが生じて、確実に勝利を見失うものである。…」
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