二つの手
習慣の二つの手。ひとつの手は、良いと判断した習慣を取り入れて、悪い習慣と判断したものを捨てる。もうひとつの手は、価値を見抜き適正と判断されているものと、そうでないものを区別する。
良い習慣は、良い結果をもたらすはずだから、結果の優れたものは、遡及的に良い習慣の成果とみることができる。逆に悪い習慣は、悪い結果をもたらすはずだから、これも結果から遡及的に悪い習慣と判断する。例えば、尊敬する人が具体的にどのような習慣をもっているのか調べ、それが分かったならば、そのまま真似をするなど。判断するのは自分であるから、おのずと判断力も磨く必要がある。
もうひとつの手とは、価値を見抜くことであるが、どうしたら価値を見抜けるようになれるのか。生まれつきの要素もあるが、審美眼や繊細な精神を養うように努めればいい。すでに価値の定まった芸術作品などは有益な示唆を与えてくれるだろう。また美しいものを美しいと感じる心は、生活を豊かにしてくれるであろう。繊細さが「美」を捉えるのであるが、「美」は数学などにもよくみられる。(たとえばオイラーの公式)。価値一般は、実際よりも割高になったり割安になったりする。それを見抜くのが目利きである。将来性についての見識があれば、その価値の将来性も予測できるから、割安ということにも気づくであろう。価値はそのまま未来に向かっていくから、未来についての知識は不可欠だと思われる。割高な価値はいつでも溢れている。知っているということは、それがすでに割高であるよい証拠である。万人の視線の大半が、この割高な価値のほうに向いている。だから、ちょっと常識から外れている少数が眠っている価値を見いだすわけだ。更に、古き良きものは、周期的に再発掘され評判が広まることにも注意しよう。意識は現在にありながら過去と未来にも配慮する。
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