パロール的知恵とエクリチュール的知恵
知恵について考えてみよう。知恵の必要性をよく承知しているのに、現実には知恵が欠けている。それでも将来的に知恵の獲得を狙っているから(知識の獲得ではない!)、考えるのである。知恵には二種類あることに気がついた。仮にそれを、パロール的知恵とエクリチュール的知恵と呼ぶことにする。もっとわかりやすい言葉で表現するなら、社長的知恵と書物的知恵と言い換えることもできる。(わかりやすくして誤解が大きくなるのを知りつつ)。パロールとは声(音声)、エクリチュールとは書かれたもの(文字)と大雑把に想像してみる。「知恵の本質とは何か?」と問うとき、この二種類の知恵があること、およびパロール的知恵とエクリチュール的知恵の合成が最も理想的であるように思う。文字を介さない(あくまでモデルであって活字とまったく無縁であると主張している訳ではない)パロール的知恵は、主に政治家や組織のトップなどに顕著に見られる。彼らの知恵は、書物のような書かれたものから獲得されるものではない。そうではなく行動から即、知恵を得るのである。換言するなら、行動自身が、声となり言葉となり知恵まで辿ることになる。一見すると知恵は活字(読書)からのみ得られるものと誤解されがちだが、パロールを駆使して知恵が得られるのも真実だ。声は生きており常に生成過程にあるものだから、それを書き言葉とする、死んだエクリチュールよりも上位に位置する。パロールを王の言葉と言い換えると納得しやすいかも知れない。我々の多くはおそらく、エクリチュール的知恵に重きを置きすぎている。だが、書かれたものを通じて獲得される知恵は、ほんの一部に過ぎない。面白いことに、エクリチュール的知恵への接近が、パロール的知恵の存在に眼を開かせたのである。つまり、エクリチュール世界から、パロール世界の重要性とその価値を了解したのだ。まとめると、知恵には二種類あって、パロール的な知恵とエクリチュール的な知恵とに分けられる。上下関係ではパロール的な知恵に軍配があがるが、両方を兼ね備えたほうが、より理想的な知恵のカタチになるだろう。結婚について考えて結婚できなくなったキルケゴールみたいにならないようにしよう。知恵について考えて知恵が身につかなかったというのでは困る。ヒントとなったのは、J・デリダの「散種」。
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