人間偏差値

人間偏差値が既に作成されたという前提で、その次に興味があるのだが、いきなり戸惑うのではないかとの老婆心から、まずは人間偏差値から説明を試みたい。学校や企業あるいは、法人などの組織の評価に偏差値に類する数値が与えられている。企業などの組織も学校ほど詳細ではないが、おおよその数値はだせる。人間偏差値とは、個々の個人に与えられる数値である。新聞等の情報を整理するならば、中国という共産圏でこの試みは急速に進んでいることがわかる。中国がコロナの封じ込めに成功している理由は、監視体制を強化しているからだが、これは同時に個人の言動を党が、かなり正確に把握しているからに他ならない。自動車の運転マナーがよくなったという記事を詳しく読むと、人間偏差値(スコア)なるものがあって、この数値が減点されるのを恐れてのことだという。つまり、自由が制限されている事実を知っての偽善的行為の結果である。現時点で人間偏差値という言葉はなく、信用スコアと呼ばれているが、直感的にわかりやすい表現を選ぶならば、人間偏差値のほうがいい。個人は、個人の数だけスマートフォンなどの携帯端末を利用している。これなしに生活ができないとなれば、スマートフォンを持っているものと断定しても数字に誤差はでないはず。中国は、スマートフォンに加えて、監視カメラを縦横に設置することにより正確さを追求しているようだ。(もちろん個人データの正確さのこと)。人間である限り、何らかの行動や言論活動をしている。具体的な行動は監視カメラが、言論活動はスマートフォンでデジタル化され記録される。中国の場合は、これに消費活動というお金の流れまでデジタル化される。こうなれば、社会の悪はもはや根絶できよう。だが、この自由の奪われている社会に諾というか否かは別問題である。人間偏差値の未来図が予測可能なのは、個人が誰しもネット環境にあって、SNSなどを利用しているからである。どんなに私的なものであっても、デジタル化されるなら、記録として残る。インターネット上で削除は基本的にあり得ない。世界を巨大なデータとして捉えることができ、かつデータは個人の水準にまで落とし込むことが可能である。もっともデータ分析をするならば、との仮定であるが、AI(人工知能)の進歩はみての通りであるから、人間偏差値なるものは、いずれ作成されるに違いない。作成されるに違いないが、これほど恐ろしいことはない。「あなたは何点ですね。ならば銀行の融資は受けられません」。というのは中国であった現実の話だ。まだ経済的なものに限定されているとはいえ、一個人の主義、主張、能力、知能などにまで範囲が拡大されるなら、そしてそれらが数値化されるならば、人間偏差値という数字になるであろうことは、容易に想像できるし、もう実現しているかもしれない。2020年のいま現在、世界的に国家は内向きになってきている。民主主義が脅かされている。この傾向が一時的なものか、それともこれからさらに強化されるのかどうかは今のところ判断できない。最悪を想定する結果できあがる数字が、人間偏差値という訳である。「あなたの能力は何点」「あなたの性格は何点」「あなたの病気の確率は何点」「あなたの将来性は何点」「あなたのIQは何点」「あなたのEQは何点」……というような会話が日常的になったとしたら……。人間偏差値の次の話は、また機会があったらしたいと思う。

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