陣痛という名を与える「COVID-19」

名づける行為は治療に匹敵する。治療とはならなくとも安心を処方することになるかも知れない。何をやり「たい」のか?コロナ感染症(COVID-19 )に陣痛という名前を与え「たい」。陣痛の苦痛に耐えられるのは、恐らくそれが陣痛であると知っているからであり、出産の一過程としての陣痛であるからだ。コロナに陣痛という名を与えることは、「未来から遡って」との意味合いがある。繰り返すと、陣痛という現象(言葉)の中にすでに来るべき将来の出産が含まれている。「コロナ=陣痛」ということによって、未来からの視点を得ることになる。「何の役に立つのか?」とあなたは問う。われわれの多くは、コロナに困惑している。そして苦しんでいる。ここで「われわれは、なぜ苦しんでいるのか?」といまさらながら問うてみる。「コロナ=陣痛」ということによって、仮の回答(あくまでも仮定!)を導きだすことができる。「新しい世界が出産されようとしている最中だから」がそれである。今まさに産まれようとしている世界の腹のなかに、われわれはいるのだと仮定したい。そして終息後に産声と共に腹から跳びだす。新世界へ向かって。わかりやすく図示してみよう。

旧世界-コロナ(陣痛)-新世界


旧世界とはコロナ前の秩序からなるものであって、新世界とはコロナ後の秩序からなるものである。コロナ(陣痛)とはこのふたつの異なった秩序に挟まれている「何か」である。思うに古い秩序が崩壊されながら、新しい秩序が生成されている真っ最中の状態が現在(コロナ禍)=われわれが置かれている状況である。ただし、私の考えに過ぎない。この大いなる当惑になんらかの処方箋を与えるとすれば、コロナ感染症(COVID-19)に陣痛という名を与えることによってなされるに違いない。次を考えよう。つまり「コロナ(陣痛)の要請するものは何なのか?」という問題である。旧世界の秩序から新世界の秩序への移行が確実なものとするならば、コロナの要請とは、次のようなものになるだろう。すなわち、これまで通りの生活をするか、それとも、これまでの生活を根本から改めるかが問われていると。率直にいえば、変化する者と変化しない者に分かれる。変化しない者は旧世界の秩序のみに生きるし、変化する者は新世界の秩序に適応しようとして生きる。コロナ禍(2021.3現在)は、われわれ人類を篩(ふるい)にかけているように思われる。その声は…風にのって聴こえる……

古きは去れ!

新しきよ!出でよ!






渋谷昌孝(Masataka shibuya)

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