ネット時代の平等と不平等の境界
インターネット社会の住民として誰もが生きている。ここにある法則がある。上にいる人はさらに上に加速して上昇し、下にいる人はさらに下に加速して下降するという法則。なぜか?いま置かれている能力や態度がそのままインターネットに接続されるからだ。両者の開きは凄まじい。毒は良く用いれば薬にもなるが、誤れば死に至る。換言すると使う側か逆にインターネットに使われる側かに二分される。操るか操られるかは主人と奴隷の関係と同様である。歴史的に見ると周囲に迎合し疑問を持たない人々はいつの時代にも大多数を占めている。世界が変わっても彼らは動かない。流されるがままという輩もいる。みんなやっているからやるがどうしてみんなが同じことをしているのか考えようとしない。安心と安定に甘んじて疑問を持たない。このような種の人たちは下降の度を一層深めるだろう。知らない間にいま乗っている路線が下に向かって落ちていく。なぜなら賢く状況を敏感に察知している人が台頭してくるので相対的に乖離が激しくなる。外見が煌びやかな印象ではあるが極悪なシステムというものが既に色々なかたちで構築され誘惑の手を伸ばしている。選別は自身の判断に頼るしか為すすべがない。利用していると思っているが実際には利用されているという現実に気づくのはなかなか困難かも知れない。これは一種の新発見に近い。もっとも理想はまず利用される体験を経て失敗し、その仕組みを知ってから今度はそこから抜けだして利用するほうに回ること。わざと罠に引っかかって知るのだ。脱けだすきっかけは、漠然となんか変だな直感することから始まる。大多数が正しいなんてありえない。いつだって賢い人は少数なんだから。
0コメント