テキストの空白

教科書はない。しかし教科書はある。暫定的に存在するだけで完璧なカタチは取らない。態度が変われば教科書もその都度変わる。信用が流動的とも言える。現実に通貨でさえ毎日変動しているのは信用が一定していない何よりの証拠。先生(権威)が間違った事を教えるというと疑問に思うかも知れない。先生自身は間違った事は教えていない。教科書に則って教えるから正解を伝達しているものと信じている。ただ教科書は過去の正解と認められた事実を提示こそするが、将来の正解は白紙のまま残されており、そこには何も書かれていない。新しく書かれるのを待っているのが教科書(テキスト)の本性なのだ。我々は未来に向かって生きている。残念なことに未来は未だ掲載されずにいるのだ。指針がないという意味だ。仮に前に進むならこれまでの正解を修正してそこに新しい解を付け加える必要があるだろう。だから教科書みたいにもっともらしい意見を熟考することなしに鵜呑みにしない方がいい。歴史が動くときはこれまでの論理で動くとは限らない。むしろ動くとすればこれまで発見されていない新しい法則で動く確率が高いが、それは未確認のままか若しくは優れた頭脳の中に眠っている。

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