「嫌いな人」という名の自分
自己とまったく関係のない人に対して好きになったり嫌いになったりする感情は起こらない。自己と多少なりとも関係があるから好悪の感情が起こる。無関係に好き嫌いの情は発生しない。嫌いになるのは自己の内面的な感情と密接に関係している。けれどもそれは意識されないままでいる。自己と異なるからとか、自己と違うから嫌うのではない。むしろ逆である。自己が相手と同じ性質を有しているから嫌うのである。つまり相手に自己の認めたくない姿を見るから嫌悪の感情が湧く。嫌っているのは実に自身の嫌な部分なのだ。相手に映った自己の姿は無残なものだ。まったく下らないと思うに違いない。そんなことはないと人はいう。しかし、強い否定こそそれが真実である有力な証拠になる。事実を認めたくないとき頑固に反対の主張をするのが常である。嫌う相手に自己の容認を許さない影が明瞭に映るのだが、心を動揺させ不安にさせ苛々させるものが始終ちらちら気になりどうにも我慢ができない。それを相手の存在のせいにするから嫌いという感情で話の帳尻を合わせようとする。はっきり明言してしまうと、あなたが嫌いな相手とは「あなた自身」である。信じられないのは当然だから心配無用。これらは私自身を自己分析した結果分かったものであるからどう料理されようと構わない。あたりまえだ。誰も自分の邪悪な部分を好き好んで認める訳がないのだから。
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