彼シリーズ「21XX年の読書」

21XX 年の彼である。洗練された椅子に座って読書をしている。「何だよ!こんな未来になっても読書しなきゃならないのか」「やれやれ、まるで進歩していないじゃないか」とは彼の内心の呟きである。この心の憤懣を察して未来の彼は言った。「いやいや、これは読書ではない。インストールといったほうが正しいよ。これを見なさい」と手にしているタブレットらしきものを差しだして見せてくれる。そこに書かれてあるものは、明らかに文字ではなかった。少なくとも言葉ではないと断定できた。なぜなら、意味の判然としない無数の線が、縦にも横にも広がっていて、しかも区切りがなく、まるで抽象画のような、あるいはQRコードみたいであったから、どう考えても文字とは言い難かった。無数に錯綜した線が幾何学的模様の如く刻まれており、読むというよりは眺めると表現したほうが正確だ。QRコードならコンピュータでもインストールできるが、彼はこの一見難解にみえる複雑な図表を知覚でスキャンしているのだ。実際に眼の中にマイクロチップが内蔵されているらしい。だったらコンピュータと人間に違いはあるのだろうかと思ってしまうが…。クレーかカンディンスキーの抽象絵画を鑑賞する要領であるが、鑑賞ではなく厳密な理解を要する点で大いに異なる 。「言葉はとっくに消滅してしまったよ」「これまでの知的な財産はすべてデジタル化されて、旧来の読書そのものが陳腐になって格段の効率化が求められた。このひとつの図表には国会図書館一館分の容量が入っている。文字を追う時代は終わり、まずQRコードを読めるように訓練されるんだ。記号を瞬時に読めるように教育される。一字一字読むなんて、今日じゃあり得ないよ。究極の速読は読む行為から、記号で埋め尽くされた図表を見る行為に取って代わった。あまりに情報が多くなり過ぎて処理しきれないという問題が生じたためでね。そしてQRコードが急激なスピードで発展し続けた。我々はその度に複雑になる図表の解読技術を日々学ばなければならなかった。もうお分かりだだろうが、コンピュータと人間はもはや一体化してしまったからね」。何だか味気ないな、と私は感慨に耽る。しかし、そんな心配を知ってから知らずか、彼はふたたび机に身体を向けて尋常じゃない量の情報を、断食から解放された人が食べるように、半ば強迫的な勢いで吸収するのだった…

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