距離についての若干のアイデア
未発見の真理が、無限に点在していると仮定する。ここで真理と人間との距離について考える。なんでこのように考えるかというと、発見されるのを待っている真理は、それを求める人間との距離が近いと予想されるからである。近いものには手が届きやすい。反対に発見の困難な真理は、人間との距離が大きく離れている。こうみると未発見の真理は人間との距離のひらき具合によって分類できるように思える。近い真理と遠い真理とに。真理を探しにいく人間の思考は、動的かつ積極的なものであり、それを待ち受ける真理は静的かつ受動的と言えるだろう。ある真理が発見されたとは、閉じられ静的な立場にあった未知なる概念と人間の思考との距離がゼロになったことを意味する。ゼロではない間は真理と思考が未だ対面していない。意味の了解は既存の思考の道路の上に乗るのに成功したからこそ理解という現象が立ち現れる。道路はみなに周知のものだから納得に至るという訳だ。さらに距離がゼロになるまで能動的に思考をしたから、真理が浮きでてきたとも言える。だからこれから発見されるであろう真理は、人間を中心に距離を縮めて近くに集まっているだろうと予想できる。どういうことか?真理の発見そのものが人間の思考原則に則ることを鑑みれば、真理の側こそ人間の思考原則と親密な関係にあると考えられる。人の思考は多様であるが、人によっては未知なる真理と距離の近い思考をしており、こうした環境では真理との親和性のために、発見も幾分か容易であるに違いない。言いたいことは、真理は遠くにあるように錯覚されているが、あくまで探しだす主体は人間の思考にあるのだから、その原則の制限を受けているのではないかとの予想である。真理はこのように近いものから発見されていくのではないか。しかし、真理が静的なもので、それを能動的な思考が捉えるという前提には疑問が残るのだが…
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