現在=100年に一度の変革期
入手できる情報を多角的に眺めてみるならば、ある判断を下すことができる。とは言っても既に、この判断すらも情報となっているのだが。ただ、実際に長期にわたって詳細に分析することで判断の確かさの強度が違ってくる。ひとつの言葉であっても、それを受け入れる心のありようによって言葉の重みが異なるのと同様。判断とはありきたりなものである。つまり、現在(2019.11.25)は100年に一度の変化の渦中にあるというもの。まるで暗い雲のなかにいるみたいに、もやもやしている。情報も束になれば秩序や傾向が浮き出るように、膨大な点と点を結ぶなら、不確実な未来と予測不可能な度合いが大きくなるとはいえ、稀にみる巨大な変化のなかで模索している状態が、いま現在であることは疑う余地はないように思える。これが耳に擦りもしないなら情報の流れを読み誤っている可能性がある。不確実で不透明であり、一寸先さえ読めないのは認める。しかし、パラダイムシフトの中に溺れているのは確実である。これは大きな意味をもつ。既存の価値観が崩壊して、新しい価値観が台頭してくる過程にあることだから。古い価値観から将来を見る人と、新しい価値観で将来を見る人ととが同居する。古い価値観に固執している人は現在の立場が大きな変化の波を受けている事実を知らない。たぶん短期的かつ表層的な情報に翻弄されているのであろう。これからの社会では、何がどう転ぶかまったく予測できない。安全な地位から一気に転落するかも知れないし、逆に準備周到な賢明さが一気に上昇する可能性だってある。政治的にも経済的にも技術的にも大きく変化している。不安になるのは明日が予見できないからだと思うが、100年に一度の変化と捉えると、不安が古い価値観に由来するものということが理解できる。確かに発想の転換は難しい。でも価値が逆転する可能性は考えようによってはチャンスだ。時代変化の危機は、準備をする者にとってはチャンスになるが、現状維持の精神では凋落の道を辿る。世の中の流れに身を任すだけなら何もしなくても落ち着くところに逢着する。「あの時にああしておけば良かった」と後年になって述懐しても遅い。以上、急激な変化をしているという前提であるが、変化に追いつこうと努力しても実りがあるとは言い難い。いまさらプログラミングを学んだところでインドや中国に勝てるのか。それでは変化の奴隷に過ぎない。答えはない。おのおの個人で考えるしかない。有名な適者生存の適者は環境の変化により、従来の適者がもはや適者ではなくなってきている!
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