「礎」が大地から遊離する

あるイメージに次第に近づいているのだが、それが何に由来するものかは分からない。目的でもないし外部からの強制でもない。自然とそのイメージに導かれる。真理を追求しているという意識もない。なのにイメージは消えないどころか強度を増していくように思われる。さてそのイメージとは何か?端的に言語化することができる。「浮遊」がそれだ。もっと具体的に言えば、大地のような盤石さとは無縁で、基礎づけられるべき固定したものがない自由さで、宙を漂うイメージなのだが、はっきりしているのは、浮いているもの自身が絶対的なもの且つ堅固であるということ。決してふわふわとした軟弱なものではなく、ひとつの礎として固まっている。ある種の土台が大地から遊離しているイメージだから想像し難いかも知れない。大概の場合、しっかりとした土台は地上のもとにある。しかし、私のイメージではしっかりした土台を敢えて空中に固定させる。この宙に固定させるという発想が新しいものである。浮いているものは頼りないのではないか、と思われるだろうが、浮きつつもあたかも岩石みたいに強固で頑丈なものである。繰り返すが大地との接触はない。空想的との批判もあるだろうが、地上に自分の持ちものを広げるのではなくて、まとめて持参している所有物を地上から遊離させるイメージだ。これを書いている本人には明白なのだけれど説明するとなるとうまく表現できない。地上に依存しない思考を空中で固める、という表現がいまのところ精一杯なので、この未成熟なイメージを無理に言葉にしようとする試みを許してもらいたい。文学で例えるならば、ドストエフスキーが大地に密着しているのに対して、カフカが空中を漂うようなものである。

0コメント

  • 1000 / 1000