fake news:deep fake
21世紀の大きな問題の一つになる(もう既になっているが)、フェイクニュースとディープフェイクについて考えたい。どちらも偽物と本物が混同され利用される。まず前提として、フェイクニュースの拡散は、避けられないものとした方が現実的であるようだ。その上で対策を講じるのがいい。情報には本物と偽物があるとし、判断力の水準を高める訓練をするなどの自助努力に力を注ぐ。一番よくないのは一部の情報に偏ること。それでなくてもネットでは、使用者に好まれ心地よく感じられる都合のよい情報ばかりが集中する仕組みになっている。SNSやネットに中毒性があるのは、もちろん使って欲しいからである。そのために煙草やお酒のように中毒性を持たせた。結果として、都合の悪い情報は排除されるか無視されるであろう。だれも耳の痛いことを聞きたくないのだから。欲しい情報をどんなに得たとしても意味はない。進歩もないし唯の自己満足に過ぎない。私とて承認欲求がない、など偽善者めいたことを言うつもりは毛頭ないが、人間の本性というものをよく知ることは大切だと心得ているつもりだし、いまでも注意している。最近では、ディープフェイクの性能が急激に高まっており、特に(特にというのはフェイクにAIが加わり厄介になっているから)問題になっている。AIの技術進歩は想像を遥かに超えるものだ。例えば、画像処理をAIにさせることで、本物と区別のつかないような動画がつくれる。大した能力もなしに容易くできるというのが問題で、拡散しやすくさせる原因となっている。この事実だけでも知っているか否かによって判断に大きな差がでる。「まず疑ってみる」という慎重さと「反対意見を比較考量する(原告と被告を裁く裁判官のような)」思慮深さは基本的な情報リテラシーであるから。個人的に有効だと思う処方箋のほんのひとつをここに提示してみたい。それは「嫌いなことや嫌悪すべきものから眼を背けないこと」である。
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