分析計算される人間
計算というものは、その対象が数値化できさえすれば可能である。データは数値化できるから計算を施すことができる。人間については、これまでは不可能だったように思えたが、ビッグデータとして、個々の数値化ができるようになったので、部分的に計算可能になったといえる。人間には言語しか適用できない、というこれまでの固定観念が過去のものとなった。ビッグデータというカタチで、数値化できるものを全て数値化すれば、人間の仮の姿を数値または数値の集合、たとえば映像として表現することができる。個別の個人にも、人間の集合にも適用できる。言うまでもないが、データは多ければ多いほど正確になる。正確になるとは露出度が大きくなると考えてもいい。計算や分析はAIがする。情報を集めているのはいまのところGAFAと呼ばれる巨大企業である。彼らによって無限のパターンが抽出されるだろう。求めたいニーズは、分析すれば直ぐに分かるようになる。国と企業あるいは警察はこれらの一部をすでに利用している。情報は驚くべき勢いで増えている。しかも、分析するAIにとってはますます都合がよくなる。情報の照合も幾らでもできるので、分類作業はたやすくなる。分類ができればおのずと評価もつけられる。そうして点数がつけられる。また、たとえ情報端末を持たなかったとしても、キャッシュレスやまだまだ増えるであろう監視カメラ(顔認証)などに情報を取られるだろう。ビックデータの解析には無限の可能性があることの恐ろしさを感じる。私権が制限されたり、国家に都合の悪い個人の特定に利用されるのなら、もう一度、見直すべき時期にきていると思う。プライバシーがプライバシーでなくなっている現状は、異常としか言いようがない。あなたが毎日眼にする広告でわかるでしょう?
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