ほんとうの道具

自己から遠く離れているものに注意を向けない。なぜなら、自己は自己の延長線上にしかおらず、自己の周辺から乖離した対象については、手が届かないからである。成長するためには、自己の領域を拡張させ、強固なものにするのが手っとり早い。他人事を放置するとは言わないが、他人事にかかわる自己そのものが貧弱ならば、いい作用を及ぼさない。自己が心的に住んでいるところの領域を耕作し深く掘り進めるのが、もっともやり易いことであり、かつ有効で効果の期待できる仕事である。外界の刺激に反応していても、自己の充足と強固な地盤がなければ、空っぽの容器が、外にちらつく豊穣な世界を夢みるだけで終わり、さしたる意味がない。発展は、現在の自己領分から連続して繋がっているところから出発するのであり、決してここから離れた場から出発するのではない。対象をつねに外界に求めるならば、空虚になるに違いない。それは退屈をもたらす。対して、対象を自己に向けるならば、自己を通じて外界をも観察することができる。かつての失敗から学んだことである。自己から乖離した対象に惚れ込むが、現実の自己は変わらない。現実の自己を変えるには、自己の領域そのものを変えることである。自己の持っている能力を使用することに専念して、他者の能力に対しては、(それが例え輝かしいものに見えたとしても)羨望の眼差しでみることはない。どんなに襤褸であったとしても、自分の道具を愚直に、擦り切れるまで使うのだ。それが唯一、ほんとうの道具なのだから。

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