難問に対する耐性

世の中には、いつの時代にも問題がある。いまももちちんある。定型的な問題については、あらかじめ解決方法が知られていて、これこれを習得すれば自ずから問題が解決される。例えば、医学の分野で一般的な病気については、症状の特徴から病名が与えられ現代医学の枠組みの中に位置づけられる。訓練された医者がこれを解決するのだが、あたかも問題に解を与えるような具合に病気を治療するのである。問題であった病気の多くは典型的なもので、過去にも同じような事例があるから専門的な技術の習得によって治療が可能になる。法律についても同様のことが言える。裁判が行われ判例が示される。類似した訴訟問題については、過去の裁判記録から妥当な判決が下される。条文という道具を使って、法律問題を解決に導く。ここで医学にとっての問題とは病気であり、法律にとっての問題は訴訟である。一般に、問題は重要かつ高度になればなるほど、難しくなる。開業医の力量だけでは治療できなかった病気が大学病院で治療される。あるいは、地方裁判所の判決が最高裁判所に委託される。いずれも問題が高度になると困難さが増す例である。世界にある問題の総体は、恐らくピラミッドのようなの形になるだろう。これはイメージしやすいと思う。ピラミッドの頂点の方に向かって、あらゆる難問が集結している。何が言いたいのかというと、繰り返しになるが、重要性が増し、それが高度になるのに比例して、その問題が難しくなるという常識的な事実について強調したかったのである。端的に言って重要な問題ほど難問である。だから何なのだ、どうしたらいいのかとあなたはいう。難問に対する耐性を身につけるべきだ。というのが私の考えである。難問は常に不定型的であって、問題に対する処方箋というものが存在しない。あらかじめ決まった訓練によって習得される技術で解決できる可能性は低い。くどいようだが難問が解決された先に、次の難問が待ち構えているのだから。せめて難しい問題から逃げないことである。最近(2020.2)の例では、ダイヤモンド・プリンセス号でしょう。混乱時の意思決定に加え、スピードが鍵でした。

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