立派な交渉家に必要な資質の中で最も必要なものは、ひとが言おうとすることを、注意深く、よくかみしめながら傾聴することができ、相手が述べたことに対して、的外れでない、その場にあった返事はするが、こちらの知っていることや望むことをせかせかと全部言ってしまおうとは決してしない、ということである。彼は交渉の主題を説明するに当たって、最初は、相手の事情を探るのに必要な程度にとどめる。相手の返答ばかりでなく、表情の動き、話し方や声の調子、そのほか交渉相手の考えや企みを看破するに役立ちうる一切の事情から判断して見抜いたところに基づいて、こちらの話すことや振舞い方を調整する。そして、相手の気性や知力、仕事の状態、情熱や利害関係についてのみこんだ上で、こうした知識をすべて使って、こちらのめざす目標に向かって相手を徐々に誘導してゆく。
納得させたいと思うことを交渉相手の頭の中へ、いわば、一滴ずつしたたらせることを心得ているということは、交渉技術の最大の秘訣の一つである。いくら自分にとって有利な企てでも、最初からその全貌と、それから起こりうるすべての結果を見せられると、加わろうという決心がつかない人間が世の中には多い。しかし、そういう人たちでも、少しずつ順を追って入らせると、こちらの誘導するがままになる。何故ならば、一歩、歩くともう一歩、歩きたくなり、さらにまた何歩も歩いてみたくなるからである。
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