調子
調子について書かれてあるものは少ない。だが、調子というものが明らかにある。調子の良し悪しと、実際の行動には密接な相関関係がある。悪いときなしに良いときもないように思われる。むしろ悪いときと良いときは、二つで一つであるようだ。別々に考えない。分離して見ないことにしよう。調子が良いのは、調子が悪いときがあったおかげであると考える。逆に、調子が悪いのは、この前後に良い調子を控えているだろう。調子の悪さは、例えば不機嫌となって現れる。だが、ここを通り抜けなければ、良い調子も到来せず、いい結果もないかもしれない。表面に見えるものは、調子の良いときにできたものだ。世間で公にされている良いものは、いい調子に拠っている。片面だけではわからないことが多い。しかも、片面だけが情報として意識されるから、プラス的な情報に過剰に反応してしまう。一つひとつの情報には、本来そこに調子の良し悪しがあったはずなのに、その足跡は抹消されている。プラス的な情報とは、よく見える情報のことではない。あくまでも、露出されているものという意味である。一定の調子が長いあいだ続くとは考えにくい。調子は絶えず変化する。悪い調子は価値の低いものとして勘定される。良い調子は無条件に称賛される。しかし、両者を互いに必要不可欠な要素と見做すならば、価値は同じである。調子が悪いことの価値が不当に低く見積もられているのではないか?
根底にある考えは、一般的に善悪は分離できず、二つで一つであり、価値としても上下関係はない。あったとしても、感情的なものに由来しているのではないかとの疑念である。
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