2022.08.27 15:06証明「未知なる対象は存在しない」対象とは何であろうか。主体からみた対象であるはずだ。主体が対象をみるとはどうゆうことであるか。対象というとき必ずこれをみている主体があるが、ここで主体には、しばし退場してもらおう。対象になるのは対象になれるものに限られる。対象として固定できるものが対象になり得る。なにを言おうとしているのか。対象に向かって的を射っているのだ。対象はあたかも塊としてまとまっていることがあらかじめ了解されている。捉えど...
2022.08.20 14:43価値の評価新しい着眼。それは価値の創造について一般的な誤解があるのではないかという推測。新規の価値の創造に躍起になる必要はないのではないか。理由はもうすでに価値はありふれていて、ただ発見されずに放置されているものと思うからだ。どうして放置されているのかといえば、独創的なものは価値の評価が難しいからである。なぜ難しいのかというと、伝統的な考えや常識からの視線で見るからである。すなわち世間には埋もれている価値が...
2022.08.14 15:07ドッペルゲンガー人間の本質には、二重性があることについての考察。ここで意識と無意識の二重性のことではないことに注意したい。アプリオリに、少なくとも二つのものがなければならない。二つあることが、前提されているのだ。例を挙げよう。意識があるというとき、意識される対象と、それをまた意識する主体とがある。「意識がある」という意味は「意識がある」と認める意識が、同時にあるということだ。単独の意識などなく、あるのは二重の意識...
2022.07.31 15:05吾輩はカラダである。言葉が身体であることについて。一般的に言葉と身体はまったく別のものとされている。しかし、ここで新しい見方を提示してみよう。それは言葉と身体に境界はないというものである。境界はないどころか、言葉は手のように身体に密着している。言葉は身体に完全に溶け込んでいる。私たちは、言葉を聞いたり読んだりすることによって変化する。まず眼や耳から言葉を受け入れ、脳を経由して心と身体が影響を受ける。理解された言葉は、...