2019.07.25 12:16富士山老人は、短い診察が終わると医師から処方箋をもらった。些か驚いた老人はもういちど医師に面会して理由を尋ねた。「この薬の量はいったいどうゆうことです?」医師は無表情に「副作用が多い病気だからね」と言った。それにしても多すぎるのではないか。との疑念が頭から離れない。ゴーゴリの主人公のみたいなその老人は、ありったけの勇気を振り絞るようにして、この威厳者に向かってやっと口を開いた。「この薬はなんの薬ですか?...
2019.07.22 15:35盗まれた手紙ポーの「盗まれた手紙」。手紙の効力と交換の深い意味には触れずに、手紙の発見について見てみる。手紙の在り処は警察の警察的な努力によって綿密に調べられた。が、犯人である大臣の能力を低く見積もり過ぎたようだ。総監は事件に関し「単純で奇妙」という。それ故に参っている。なのに、デュパンの「事が余りに単純だから返って当惑させるんだよ」と言う本質的な言葉に「馬鹿を言っちゃいかん」と笑って応じる。デュパンは「その...
2019.07.22 00:58眼に見えないものは頭で見る「分からない」といつも心の中で繰り返す。分かるのは自分に近くて親しいものばかり。遠くにあるものはその距離を認識している時点で私の視野に入っているが、知りたいものは遠く離れていることさえ明らかになっていない。知りたいことのみ知るのでは何も進歩していない。知を固定しないから、不安定で曖昧だ。考えを進める印となる起点を固定しないという意味である。きょう獲得したが明日には不確かになってしまう。積み重ねる蓄...
2019.07.21 18:41まず与えることから欲しいものがある時どうするか?欲しいと要求するのだろうか?おそらく順序が逆である。初めにすべきは与えることである。欲しいから与えるのではない。見返りを期待しないでまず与えてみる。合理的ではないかも知れないが、無償で提供することから物事がうまく回りはじめる。損得勘定なしに、とにかく与えることから自然に軌道にのるよう働きかける。種を撒くイメージだ。自分の利益よりも先に相手の利益になることを優先順位の上...
2019.07.19 14:39「今日は喋らなかったのです」「仕事をした」「何もやっていないじゃないか?」「でも、稼ぎましたからね」「何もしていないのにどうして稼いだというのだ」「今日は喋らなかったのです」「だったら余計にいけない」「そうですかね」「そうに決まっているだろう」「でも、沈黙は金ではありませんか?金の時間には耳をよく使っていましたからね。口はあまり役に立ちません。むしろ口を経由して財産を失うくらいですから!」
2019.07.19 13:36プロメテウスの土産火のニュースで思いだす。幼い頃、アルコールランプの液体を机の上に撒いて火をつけて遊んでいました。細い糸のように油を撒くと、そこに綺麗な模様の炎が青く燃えるのです。まるで火で即興の絵を描くみたいに。ディズニーランドのパレードなんて比じゃないくらい素晴らしかった!クルーゾーの映画にピカソを撮った作品があります。その中で、ピカソが火のついた棒を自由に動かして空中にスケッチする姿がある。カメラのシャッター...
2019.07.18 02:37みえない不自由。その不気味さ!中国の交通マナーが良くなった。というのは監視カメラがいたるところに設置してあって、悪い行為は減点対象として個人の信用を落とすから。広く浸透している事実である。これは偽善的な行動が迫られている結果であって、本心からではない。日本でも個人データの蓄積は膨大になりAIで分析される。個人データは個人の信用度の度合いを示すので、分かっている人は意識的あるいは無意識的に自由を奪われている気分になる。一方で警察...
2019.07.15 14:15判断基準=影響力の多寡「何を読むべきか」についての一応の見解。当然のことだ思うが、その影響力の大きさにより選択すべきだと思う。例えば、E .フッサールである。彼は誰に影響を与えたのか。少なくとも、ハイデガーやレヴィナスとデリダなどに多大な影響を与えた。だから無視できない人物である、E.フッサールの「イデーン」から読んでおく必要性が理解できる。西欧文学ではやはりシェイクスピアが突出している(ギリシャ悲劇を除く)。音楽の源...
2019.07.13 14:42P.ドラッカーピーター・ドラッカーはユダヤ人であるが、その著書にしばしばユダヤ的なる思想が散見される。例えば、「明日を支配するもの」にはこうある。「知識労働者は生産手段を所有する。それは頭の中にあり、持ち運びができる膨大な資本財である。知識労働者は、生産手段を所有するがゆえに自由に移動する。肉体労働者は、仕事が彼らを必要とする以上に仕事を必要とした…」
2019.07.13 00:11距離のパラドックス目的の方に歩くのではなく、現在地と目的地を隔てている距離を消すことで目的が現在に向かって降りてくる。あるいは現在のある場所を掘る行為によって遠くにある目的を穴の中に引きずり込むこと。距離があると思うのは錯覚かも知れない。距離は一概に離れているものとは言えない。
2019.07.12 17:53考えるヒントあるいはちょっとした雑感「問い」とはつねに収束しているもののことである。発散した「問い」に解決を与えるのは不可能である。どういうことか。「問い」にはあらかじめ限定が施されていなければならない。限定されているからこそ、ここに焦点を合わせることができる。発散した「問い」には手のつけようがないのだから。焦点を合わせる主人は思考である。だから解決を目的とした思考は、切り取った部分だけについての思考でありその結果も限定されたもので...
2019.07.11 14:36安息日何でも知ることがいいのではない。なかなかできないのは、「休み方」を知るということ。唯一の健康法であり創造のもとでもある。遊ぶのではない。あくまでも休息に重点が置かれる。人は永遠に続く苦難に耐えられるように作られていない。だから定期的に休息する。「休み方」の仕様を間違えないようにするのは難しい。心の休息、自己を省みることで真の充足を得る。働き方と同様に休み方にも知恵を使う。賢い休息をするという発想は...