2021.08.26 11:20いきなりステーキ!知覚で捉えられるものは何の意味も有せず、そこにはデータのようなものがあるだけだ。といきなり(ステーキに)言っても(行っても)戸惑う(食傷する)だろうから、以下この説明を試みることにしよう。人間の知覚によって入力されるデータのようなものとは、どこから始まりどこで終わるのかも不明であり、統一されておらずカタチもあるようでなく、無秩序で無機質かつ機械的なものである。捉えられたどころがまったくなく無意味そ...
2021.08.23 10:42SLAM(スラム)「私はものを見、また感じているが、見るとはいかなることか、感ずるとはどのようなことかを自分で納得するためには、私は、それらがそこに身を投じている見えるものや感じられるものの中にまで〈見ること〉や〈感じること〉につき従うことをやめ、そして見ることや感じること自身の手前に、それらが位置を占めてはいないが、そこからしてそれらの意味や本質が理解可能になるような或る領域をしつらえなければならないことは確かで...
2021.08.19 11:59基礎づけられぬもの「門」ハイデガー「存在と時間」第一編 第一章から「…この課題を実り多いものにする取り上げ方については、今日わたしたちが処理しうる多種多様の文化や現存在の形式についての豊富な知識が、好都合のように思われます。しかしこれはただ外見にすぎません。これを要するに、この様な夥しい知識は、本来の問題を誤認させる誘惑です。混合主義的にすべてを比較したり、また類型化したりすることは、すでにみずから本質認識を与えないので...
2021.08.08 14:54コギト「われわれの身体とは、みずから動くものであり、したがって世界の視線と不可分のもの、それどころか実現されたこの視像そのものであるが、このようなものであるかぎりでの身体こそ、単に幾何学的綜合だけではなしにあらゆる表現作用の文化的世界を構成するあらゆる人為的獲得物の、可能性の条件なのだ。思惟とは自発的なものだと言われるとき、それは思惟が自分自身と合体するという意味ではなく、逆に、思惟は自分自身をのり超え...
2021.08.03 14:10←ff 私(あるいは私たち)は、未来を現在に包摂しながら生きている。さらに率直にいえば(現在に生きつつ)未来にも生きている。俄には信じがたい発想である。未来はその字の如く未だ来ていないもので、現在の先にあるものだと通常はそのように思われる。では、過去が現在まで続いているというのなら少しは信じてくれるかも知れない。だが未来を生きているというなら、それは違うとなる。まだ到来しない将来を現在の私が生きるなど不可...
2021.08.01 14:00他者と人間的世界『知覚の現象学』M・メルロー=ポンティ「私が諸感覚機能をもち、視野や聴覚野や触覚野をもつかぎり、すでに私は、同じように精神物理的主観とみなされる他人と交渉をもっているのである。私のまなざしが活動しつつある一個の身体に向けられるやいなや、ただちにその身体をとりまく諸対象は、意味の新しい層を身につける。つまり、それらの対象は、もはや単に私自身があらしめているだけのものであるにとどまらず、この行動があら...