2020.04.29 15:27難問に対する耐性世の中には、いつの時代にも問題がある。いまももちちんある。定型的な問題については、あらかじめ解決方法が知られていて、これこれを習得すれば自ずから問題が解決される。例えば、医学の分野で一般的な病気については、症状の特徴から病名が与えられ現代医学の枠組みの中に位置づけられる。訓練された医者がこれを解決するのだが、あたかも問題に解を与えるような具合に病気を治療するのである。問題であった病気の多くは典型的...
2020.04.27 13:33未知なるものへの気遣い意味は、それだけでは意味にならない。それを渇望する主体が能動的に捕まえにいくことによってのみ意味が生じる。なんらかの積極性なしに意味は存在すらしない。意味の存在は、それが明らかにならないまま野放しにされている。やがて意味を与えられるものが、静かに待機しているのだ。意味たちは気遣いをいつも受動的に待っているのであり、みずから動こうとはしない。いったん意味の欠片が知られると能動的な思考により注意が集ま...
2020.04.25 12:56創造と破壊知識を積みあげるとか、ある特定の知識に拘泥するとか研究するとか、まして、偉人だからといって祀りあげるようなことはしない。差別である。すなわち有名人を必要以上に崇めて、無名人を必要以上に卑下するのは!知識人は上方からしか学ばず、下方と思われているものを軽視する。もっとも、上下の区別などないのだが。常識的な知性からこれらの概念が生じるが真実ではない。謬見を回避するために、抜本的な思考変革を何度も繰り返...
2020.04.23 13:09フッサール「幾何学の起源」この試論で重要と思われる「地平」という概念に注目してみる。まずは抜粋から。「客観的世界とは、元来すべての人にとっての世界、『だれもが』世界地平としてもつ世界である。この世界の客観的存在はみずからの普遍的言語をもつものとしての人間を前提している。言語はそれ自身の側から見れば機能であり、習得された能力であるが、世界、すなわちその存在と在り方に関して言語で表現できるものとしての諸客観の全領界と相互関係に...
2020.04.20 13:44ほんとうの道具自己から遠く離れているものに注意を向けない。なぜなら、自己は自己の延長線上にしかおらず、自己の周辺から乖離した対象については、手が届かないからである。成長するためには、自己の領域を拡張させ、強固なものにするのが手っとり早い。他人事を放置するとは言わないが、他人事にかかわる自己そのものが貧弱ならば、いい作用を及ぼさない。自己が心的に住んでいるところの領域を耕作し深く掘り進めるのが、もっともやり易いこ...
2020.04.12 14:28分析計算される人間計算というものは、その対象が数値化できさえすれば可能である。データは数値化できるから計算を施すことができる。人間については、これまでは不可能だったように思えたが、ビッグデータとして、個々の数値化ができるようになったので、部分的に計算可能になったといえる。人間には言語しか適用できない、というこれまでの固定観念が過去のものとなった。ビッグデータというカタチで、数値化できるものを全て数値化すれば、人間の...
2020.04.10 14:59いま歴史が書かれている!間違いなく、いま歴史が書かれている最中である。(2020年4月11日現在)。良くも悪くも歴史に刻まれる。敢えて楽観も悲観もしないようにしたい。世界全体が、この危機に集中している。これは団結をもたらす。50年後にどう回想するのだろうか。世界は危機が過ぎ去っても続くが、少なくとも、いまは危機的状況にある。ウイルスが人類を再教育させているようにも見える。危機的な環境が人間に苦痛と忍耐を強要するからだ。自...
2020.04.05 14:22fake news:deep fake21世紀の大きな問題の一つになる(もう既になっているが)、フェイクニュースとディープフェイクについて考えたい。どちらも偽物と本物が混同され利用される。まず前提として、フェイクニュースの拡散は、避けられないものとした方が現実的であるようだ。その上で対策を講じるのがいい。情報には本物と偽物があるとし、判断力の水準を高める訓練をするなどの自助努力に力を注ぐ。一番よくないのは一部の情報に偏ること。それでな...